| バカラ(BACCARAT) 〜フランスが生んだ国宝級のガラス職人〜 |
||
バカラ・・日本では『バカラのグラス』としてお馴染みですねぇ、高級な”ブランド”としてその地位を確立しております。 一時、どこぞの自動車保険会社のCMでも高級グラスとして登場しておりましたね、”あんたの給料じゃ〜とても払えない〜とか...”で。芸能人もクラブとか高級ラウンジで『マイバカラ』として、たくさん持っているタレントがいるとかいないとか。最近はその”高級なグラス”にお名前入れちゃうサービスする所もあるらしいですが、もともとそのグラス自体に”価値”があるのにねぇ。例えばロレックスのエクスプローラーTにお名前なんか深く刻まれたりでもすれば、質屋にも出せないし、単なる一人よがりで傷をつけたようなもんでしょう。『付加価値』というものは、”価値のないものに価値を付ける”ものです。ボトルなんてのは、飲んで酒屋に出したら5円か10円帰ってくるぐらいのものなのですからねぇ。←これはイコールボッタとも言うことなのでしょうか? 話がとんでもなくそれてしまいました(苦笑) バカラは言うまでもなく、フランスから生まれました。正式名称は、バカラ・クリスタル社(旧名:サンタンヌ・ガラス)という由緒ある会社が生産しております。 バカラは今ではグラスとして有名ですが、実はペーパーウェイトの逸品を造り出すところとしても有名でした。その中でも特にバカラ職人が魂を込めて創作していた”サルファイドウェイト”(※後述)というものを特に得意としていたそうで、歴史的にもかなりな名品を造り上げていたそうです。(ジャンヌ・ダルク) フランスには何世代も前から3大ガラスメーカーが存在し、その地位を確立するため、他社と凌ぎを削りながら君臨し続けております。バカラ、サン・ルイ、クリシーです。
■ バカラ創設秘話とその時代背景を知る ↓ バカラは1764年、アルザス・ロレーヌ地方(いわゆるジャンヌ・ダルクゆかりの地ですね)というシュヴァルツヴァルト(黒い森)と北フランスのヴォージュ山脈との間に横たわっている山の多い森林地帯で誕生しました。この地方は、2世紀もの間にバカラとサン・ルイという、フランスの二大ガラス工場を生み出し、50マイルも離れていないところに両工場は隣接しあって、歴史的に深いつながりを持っていたんだそうです。ま、言えばお隣さんというよりも、兄弟みたいなもんでしょうかね。土地柄、さまざまな悲惨な戦いがあって、共に苦労した戦友同志だったとも言えますね。 〜〜『フランスは、全くガラス工芸品を製作していません。この為にわが王国は、あの陰惨な7年戦争の後に復興に努めたとき、必要なガラス製品を、ボヘミアから大量に輸入してまかなわざるをえず、莫大な資金を流出させましたんですぞ』〜〜 メスの司教モンセランシー=ラヴァル卿が、サンタンヌ・ガラス工場(のちのバカラ・クリスタル社)という名で創立する際に、国王ルイ15世に言い放った言葉です。その司教は雄大な森林を所有していたのですが、これを多くの”きこり”の失業者の救済に役立てれないものかと思いました。木材を燃料にするにはガラスの製造所を建てるしかないと考え付き、その信念をルイ15世に嘆願しに行きました。 そして1764年の10月16日晴れて、彼の言い分を受け入れました。ガラス工場は、ムルト川の右岸の、バカラの小さな村の向かい側に建てられ、その工場に関係するさまざまな職人の住居がその工場の周囲にも同じように建てられていきました。その地に”小さな社会”が誕生したのです。 溶解ガラスの用意ができ次第すぐに職人を召集できるようにと、彼らを工場の近くに住まわせることは当然、不可欠でもありました。当初の工場ではおもに、窓ガラスや鏡、瓶類やガラスの実用器の生産が主流でした。一説によると1789年のフランス革命の直前までは、工場で働く従業員は400人以上いたとされ、70世帯以上の家族がその工場の敷地内で生活されていたとされます。 しかしそれまで順調に経営してきたが、1790年から1815年までの25年間はナポレオンの没落にともなって、他の18世紀頃の工場の例にもれず、サンタンヌ・ガラス工場の景気は急遽、悪化していきました。これは戦争、対英封鎖、材料費などの物価高騰、そして労働力の低下などの影響で会社が財政難となっていったからです。 1811年にはこういこともあり、会社は2台の炉を閉鎖し、400人もいた従業員を5分の1以下の70人を残し、リストラしました。しかしその後も会社は経営を立て直すことはできず1816年、工場は純金2,845オンスで、M・エメ=ガブリエル・ダルティーグに売却されました。ダルティーグはサン・ルイ工場の重役を務めたこともある実力者で、それ以前は、リェ‐ジェ近郊のヴォネシュにあるガラス製造所を、その地方自体が突然ドイツに(のちにベルギー)に占領されるまでの1815年まで経営をしていた人物だったのです。 その後、ダルティーグ指揮下の元、バカラの製造所は急速に伸びていき、売却後1年で工場で働く従業員は300人を越すまでに成長し復活しました。そして更に5年後の1822年までには、バカラ工場はフランスを代表とするガラス製造所までに上り詰めました。これもガラスの特性や品質にこだわった研究の結果の賜物で、世界でもっとも美しく、重く(鉛の含有量が32%も含まれておりました)、比重、屈折率、光度の高いクリスタルが生産開発されたからなのです。 1823年になり、ダルティーグはそれまでバカラ工場全ての実権を握っておりましたが、突如同僚のM・ピエール=アントワーヌ・ゴダール・デマレと、M・レキュイエ、そしてM・マロの3人に売却しました。そして今のバカラ・クリスタル社が誕生したのですね。また1881年の現在の社名になるまでにバカラ・ガラス・クリスタル社など社名変更などつけられていたこともあるそうです。 会社の大株主でしたゴダールはこう言いました。”バカラ社の将来は、ガラス製品の品質改善とバカラで働く職人の腕次第である”といい、それを現実にするためには、上質な材料の使用を重視し、生産の改善と拡大を図るようにすることでした。当時のバカラは、香水瓶やシャンデリア、キャンデラブラ、そしてグラス類などを製作したり、またパリでの展示会にも積極的に出展したりと、芸術色にも力を入れ始めたそうです。 1846年、ゴダールの息子だったエミール・ゴダール(ござーる?)に実権が移り、エミール管理下の元で、ミルフィオリのペーパーウェイトが完成され、バカラ社の生産拠点がさらに拡大することになりました。この後1848年までには、バーナーワークでの花やブーケのモチーフも登場し、バカラ社のペーパーウェイト製作は、わずかであったとされてますが、1860年から後半から第2次世界大戦直前までの間、少し生産したのみとされ、また1931年〜1934年にかけて製造されたウェイトは特別に『デュポン』と呼ばれていたこともあります。以後このペーパーウェイト事業は、バカラにとって後に重要な役割を20年近くも果たすことになったのですね。 ■ 最高級の素材、人間国宝級の職人技 さて、今ではガラスに興味がない人でも、その名を耳にすると溜息が出るほどのトップブランドとなったクリスタルガラスの王者バカラのその魅力についてですが、なんといってもバカラ製品の美しさの秘密はまず第一に、「素材にある」ということです。 通常、「クリスタルガラス」と呼ばれるのは、原料に含まれる酸化鉛の割合が24%を超えたものをさすのですが、バカラの場合は30%も含まれているそうです。他の成分と微妙なバランスを取った独自の調合が、ダイアモンドの輝きと重量感を生み、また、指ではじいた時にキーンと澄んだ金属音のように響くのです。 秘密のその二は、職人の高度な技巧。溶けたガラスを自在に操るテクニックはもちろん、カットやグラヴィール、※2)エッチングなどの装飾に優れた技をもっているのです。また、バカラには、これまでにMOF(フランス最優秀職人)という称号を受けた職人が41人いることからも、そのレベルの高さがわかるのです。こうした職人の冴えた腕に加えて、バカラは検品の厳しさにも定評があるのがその高品質の所以なのですね。 ・・と言うわけで、バカラ・・されどバカラ。これだけ名声を得、ブランド力を上げてきたにもやはり、その時代時代の背景がはあり、さまざまな苦難を乗り越えてきたのですね。バカラのベストセラータンブラー「アルクール」やシャンパングラスで名高い「ドンペリニヨン」など、私もついつい、惚れ惚れと魅入てしまい、特にドンペリニヨングラスのボウルからステムにかけて継ぎ目がないところは、シャンパンを注ぐとまっすぐに泡が立つように計算されて作られているってんだから・・ね。こういうことを深く知ると、やはりバカラグラスにお名前彫ったりするのは、個人の自由とは言え、バカラの職人に失礼な感じがするのですが・・それは私だけでしょうかねぇ。←しつこいって ※ サルファイド・ウェイト クリスタルの中に堕造によるセラミック製(カメオ)の飾りを挿入する技法。1819年にイギリスのアプスレー・ペラットが開発し、特許を取得。おもにサルファイドはペーパーウェイトとで見られるほか、さまざまなガラス製品に登場している。―デカンタ、タンブラー、ボトル、コップ類、水差し、ドアノブ、印章、花瓶、宝石、キャンドルスティック、ボタン、香水瓶、装飾板、宗教用具など。作品に挿入されるカメオは歴史上の出来事を記念したり、政治、芸術及び宗教界の著名人を称えているものも少なくない。しかし、サルファイドの多くは動物や風景を描いた、単に装飾的なものであるとされる。 サルファイドのウェイトにはサインや年記が入っているものが少ないため、鑑定が容易でないとされる。しかし、何らかの記号がついている作品も時には見られる。サルファイドの鋳型をとる原型はのメダルや彫刻の製造者名あるいは工場名を示しているのが常である。また酸化コバルトで銘記された名前が、作品後方やカメオの銅像の下端に表されている時もあり、この銘記はサルファイドが表現する人物を示している場合が多い。
※2 エッチング バカラでのエッチングとは、酸でガラスを腐食させ装飾技法をとります。通常のエッチングとはこのことを指します。具体的には、ガラスで表面をパラフィンなどの保護膜でおおい、文様に沿って保護膜を削りとります。そして、フッ化水素酸と硫酸の混合液に浸し、保護膜を削り取った部分が、酸に腐食されて文様となるのです。私達がよく目にするサンドブラスト加工とは違います。 |
||
| バカラグラス? ⇒ |
| サンドブラストレリーフでガラス彫刻 |
「彫刻倶楽部」 |